2018年2月8日木曜日

暫定最古のたぬきケーキ

 たぬきケーキの発祥についてはよく分かっていません。洋菓子店などに伺うと、古いところは1960年代から作っているようです。「ようです」というのは、あまりにも古い話な上に代替わりしているので詳しい情報が残っていないのです。ただ、戦中には統制されていた乳製品や砂糖、小麦粉が1950年以降に撤廃されたため、1952年~1959年の間に最初の1匹が生まれたのでは、と憶測していました。
 あまりに情報が無かったため、たぬきケーキの先祖探しは二の次にしていたのですが、先日、Twitterでフォローしてくださっているぶんこさん(@bunkoayako)から、1954年の雑誌にたぬきケーキが載っている、という情報をいただきました。驚きと喜びとで早速調べたところ、雑誌「製菓製パン vol.20 no.9(1954年9号)」に確かに掲載されていました。


 これがそのたぬきケーキ。名前はフランス語で狸を表す「BRAIREAU DO JAPON(原文ママ。正しい綴りは BLAIREAU ですが間違いなのか意図的なのかは不明。直訳すると【日本のアナグマ】)」。作られたのは六本木にあったクローバー洋菓子店の創始者、田中邦彦氏(故人)です。

 製法も載っているのですが、これがかなり独特。胴体部分は底にビスケットを敷き、その上にドーム型にスポンジを作り、チョコレートで覆って完成。頭部は基本的にマジパンで形を作り、チョコレートで顔を成型。それを先ほど作った胴体の上に乗せて出来上がり。そう、驚いたことに、たぬきケーキ最大の特徴とも言える(※個人の意見です)眼孔から鼻にかけて指で摘む作りにはなっていないのです。また、現代のたぬきですと頭部と胴体は一緒に作りますが、BRAIREAU DO JAPON は別々。そもそも中にバタークリームは詰まっていません(ただスポンジ作成時にバタークリームを使用)。

すべてクローバーの洋菓子。写真真ん中にたぬきの列。

自分が知る中では一番古い年代のたぬきケーキである BRAIREAU DO JAPON ですが、たぬきケーキの先祖に当たるかどうかはまだ分かりません。現代のたぬきケーキの特徴(指で摘んだ鼻やバタークリーム等)を持っていないため、BRAIREAU DO JAPONとは別の、現代のたぬきケーキの形に近い系統が存在する可能性があります。その一方で、BRAIREAU DO JAPONの影響を受けた、現代のたぬきケーキとを繋ぐ未知のたぬきケーキが存在したのかもしれません。もしかしたら、実は戦前から当たり前に存在していて戦後に復活させたのでは、なんてことも考えてしまいます。妄想を書いててひとりでワクワクしています。

 BRAIREAU DO JAPON が先祖かどうかは分からないまでも、現段階では「最古のたぬきケーキ」に違いありません。現代のたぬきケーキと見比べながら、進化の過程に思いを馳せたり普通に食べたりするのもいいかもしれません。

出典・引用元:
製菓製パン Vol.20 No.9
製菓製パン Vol.23 No.7
道ひとすじ-㈱ふらんす菓子クローバー五〇年史

2 件のコメント:

  1. 1960年生まれで幼稚園に行くまえから地元の喫茶店に置かれていた大好物ケーキは、多くのたぬきケーキに近いレシピかと。
    形はたぬきケーキではないのですが、ドーム形系のスポンジにクリームサンド、当時ですからバタークリーム、トップにデコレートでクリームがいくつか絞られ、それを含めて全体をチョコレートコーティング、
    顔等はないですが、構成要素はたぬきケーキと同じパターン、ですので、このタイプのケーキがたぬきケーキになったのか?はたまた既にあったたぬきケーキを安直にしたチョコレートケーキを当時の純喫茶等で出し始めたのか、、は定かではありませんが、
    この純喫茶での幼児の愉しみ♩のドームタイプバタークリーム&チョコレートコーティングケーキは、すでに1960年始めには存在としてはポピュラーなものかと思えます。

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  2. 追伸です、
    そのよく行った純喫茶は西荻窪にありました。

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